武士道

【テキスト版】「えんとつ町のプペル」の感動は思考停止社会の産物だ

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ターザン&柴田の「風の声ラヂオ」

■ターザン山本
1946年、山口県生まれ。元週刊プロレス編集長。カリスマ編集長として一世を風靡するも、1996年に記事「地方で手を抜く新日本」をきっかけに新日本プロレスから取材拒否を受け、責任を取って編集長を辞任。同年に発行元を退社。その後は流浪の者となり自由に生きる。

■柴田和則
1977年、秋田県生まれ。2006年、豪州に渡り、放浪ののちユダヤ人学校の清掃夫の仕事を得る。2008年、現地の日系誌に編集ライターとして参加。2010 年に帰国し、K-1オフィシャルサイト編集部に所属。2015年、「巌流島」の立上げに合流。2020年に女武士道「凛」を立ち上げ。

感動した瞬間に思考する必要がなくなり、そこに酔ってるだけ

柴田 はい、今日は映画の話をいたしましょうか。

ターザン 映画といえば『鬼滅の刃』が大ヒットしたんだけど、年末にかけて突然出てきた『えんとつ町のプペル』が世の中的に大騒ぎしてるわけよ

柴田 すごく話題になってますよね。

ターザン 大騒ぎしてるのかどうか知らないけども、一応ヒットしてると。俺は映画に関して、ヒットしてるものは観なければいけないという使命があるんだけども、最近ツイッターを開くと、プペルを観た感想をガンガン投稿している人がいっぱいいるわけよ。それが全部ね、感動しました、感動しました、2回目です、3回目です、子供ができたらこの映画を観せたいですと。しかも、その感動したと言ってるやつらが、なんと映画のチケットの半券の画像をアップしてるんだよ。席番とか、シアターの名前とか。

俺はそれを見た瞬間に、この人たちは普段映画を観に行ってないんだなとわかったんですよ。映画を観た人間がツイッターに投稿するときに、チケットをアップする? 普通は映画館をアップするか、映画館にあるポスターをアップするのに、自分のチケットを見せるなんて、こいつらが映画を観に行っていない証拠だとわかったわけですよ。

柴田 それはなぜチケットを見せびらかしてるんですか?

ターザン この映画に感動したという証拠を見せるために、証拠がイコール買ったチケットになってるわけですよ。これは時代が変わったというかね。映画の概念が変わったというか。俺が古いのか知らないけど、たぶん、そういうことをするのは映画を観たことがない人間だ。

柴田 熱狂的な支持を受けてますもんね。応援されてるというか。

ターザン うん。その「感動した」「感動した」というのを見るたびに、こっちは精神がインポになって、しらけちゃうわけですよ。どんびきしちゃうわけですよ。それで行こうと思っていた俺の気持ちが萎えちゃって、感動感動感動というものに付き合いたくねえよ、バカヤローとなるわけですよ。俺はへそ曲がりだから。俺は映画を感動で観たことはないんですよ。映画は「すごい」というのはあるよ。得体が知れず、すごいというのはある。キューブリックの映画とか観たりして、そう思ったことはあるけど、キューブリックで感動したなんてことはありませんよ。

柴田 でも世の中に感動ものの映画はたくさんあるでしょ?

ターザン もちろん涙を誘う作品はあるけどさ。とにかく俺は感動という言葉が大嫌いなんだよ。俺ははっきり言う。感動を定義するとこうなる。感動とは思考停止をするための手段ですよ。要するに感動した瞬間に思考をする必要がなくなるわけですよ。そこに酔っちゃってるわけですよ。だから思考する能力がないというか。思考する能力がない人間は感動するしかない、というパラドックスがあるわけですよ。これは思考停止社会の典型の映画ですな。

柴田 エモーショナルな世界だけなんですね。

プペルには武道精神がない。武道というのは一対一で向き合うこと

ターザン 俺はある人に言われたんよ。こういうことを言ってた人がいると。それが名言でさ。「AVは抜くためにある。で映画は感動するために観るものじゃない。だから俺は観にいかない」と。いいことを言うよねぇ。俺はしびれてねぇ。その人に最敬礼して、土下座しようかと思ったよ。そういう頭のいいやつがいるんですよ。だからプペルは頭の悪いやつが観る映画かもしれんな。

柴田 ひどい言いようだな(笑)。作り手はそれを計算してやってるわけですか?

ターザン そう。キングコング西野はそれをわかってやってるわけですよ。彼のビジネスの基本は、共感という概念がないとビジネスは成功しませんよと。いかに共感するかというので、一番手っとり早いやり方が「感動なわけですょ」。もっとも安っぽい感動を出すわけですよ。イージーな感動を作り出すわけですよ。

またある別の人はさ、「プペルは感動のネズミ講だ」と言ったわけですよ。これもすごい言葉だなぁと思ってね。この2人の発言を聞いて、俺は観に行く必要はねえなと思ったわけ。感動と共感というものの根っこにある真実を暴露したなと。俺はもう拍手喝采。万々歳ですよ。

柴田 それで結局、山本さんはプペルを観にいったんですか?

ターザン 観にいくわけないじゃないですか! その言葉を聞いたことと、みんなが感動感動の嵐になってることに嫌気がさしたわけよ。ものを考えるとはどういうことかというとね。感性というのは、そこはちょっと違うなと。それはそうじゃないんじゃないのと。疑問を感じると。ひとつの既成事実に対して、異議申し立てをすると。異議申し立てをすることが感性なわけですよ。みなさんはそれをできないわけですよ。感動してる人間を見て、それはちょっと違うんじゃないかなという違和感が思考の証明なわけですよ。その違和感を発すると、のけものにされる、仲間になれないとなると、感動にいったほうが楽じゃないですか。

柴田 余計なことは言うなよっていう。

ターザン うん。俺は違和感しかないから。違和感で生きてきたから。

柴田 山本さんはそれを楽しむわけですよね。

ターザン 俺はこう思うということを言えるわけですよ。俺はこう考えたと。俺はこう見た。こういう印象を持ったと。それを言うことが俺自身じゃないか。それが個の証明なわけですよ。今は脱個ですよ。個を放棄している。没個。没個イコール感動・共感ですよ。個しか意味がないわけだから。コロナに勝つには、個としての俺が成立して、個と闘うしかないわけですよ。一対一で。今こそ武道精神! 個と個の対決ですよ!

柴田 ここで武道が出てきた(笑)。プペルには武道がない?

ターザン あれは武道ではない。あれは脱個。武道というのは一対一で向き合うことだから。向き合っていながら、違うものとして闘っていながら、最後にわかり合う世界だから。無言でわかり合うという。これですよぉ!

柴田 そういう奥深い世界が見えない?

ターザン ない。まったくない。

すべてのビジネスはだまし。個を放棄して、安っぽい共感と感動にだまされてる

柴田 まぁ、西野さんも武道を意識して作ってはいないだろうけど(笑)。しかし、今は個の時代と言われているのに、そういう現象が起きるというのはおもしろいですね。

ターザン 個の時代と言われているのに、個を放棄して、安っぽい共感と感動にいってること自体がだまされてるわけですよ。すべてのビジネスはだましだからね。良いだましと悪いだましがあるんだよ。プロレスは良いだましだから。プロレスにはだまされたいという快感があるから。アントニオ猪木にだまされたいとかね。でもみなさんはそういう変態的な考え方ができないからね。

柴田 なるほど。それを山本さんが発見したわけですね。

ターザン 発見した。だから今でもプペルを見にいくべきか、いかないべきかと、ハムレットのように悩んでるわけですよ。生きるべきか、死ぬべきかみたいにね。

柴田 大勢の人たちは楽なほうに流れてしまってるだけだと。

ターザン 感動にいってしまったからね。没個の世界にいって、安心しきっちゃって、そこに溺れきってるわけですよ。まぁ、それもある意味では美しいけどな。人のことだから、どうでもいいんだけど。

柴田 個がないというのは怖いことですよね。

ターザン 個を捨てたら終わりですよ! 違和感こそが個だから!

柴田 じゃあ、プペルを見たら終わり?

ターザン そう、終わり!

柴田 わかりました。

ターザン 素晴らしい終わり方だな?

柴田 そうですね(笑)。ではまた次回。

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