自分に最も向いていること
人間、自分に何が向いているのかは、実際に試してみないとわからない。
元サッカー日本代表の前園真聖氏を見ていると、本当にそう思う。
私の世代的には前園氏というとクールなイメージであって、
まさかあんなオトボケ野郎で、あんなにバラエティ向きだとは思わなんだ。
自分の人生において一番向いていることとは何か?を見つけるのは、そう容易なことではない。
それをオンリーワンチャンスで、一撃必中で決めろと言われると、これは相当しんどい話になる。単純にほぼ無理な話だから。
そんな無理な話が標準的にまかり通っていたのが「昭和」だった。
昭和には終身雇用があったから「一人生・一職場」という生き方が当たり前で、
そのぶん一発勝負で自分に向いている仕事を見つけないといけなかった。
なんたる博打か。
まぁ「向いてる仕事につく」という概念自体ほとんどなかったのかもしれないが。問答無用というか。
ポスト平成の価値ある価値
昭和の時代においては「安定」というのは、なんだかんだストレスフルであるとはいえ、じゅうぶんに価値のあるものだっただろう。
だが、昭和をこえ、平成さえもこえ、ポスト平成に入る我々の世代は、もうそこに超絶的な価値は見出せない。
昭和は終身雇用の安定と引き換えに、ワンチャンの「取り返しのつかない時代」だった。
ポスト平成は、何度でも勝負できる「取り返しのつく時代」になる。
25歳までには落ち着かないと。35歳を過ぎるともう永遠に再就職は無理。
なんてのはもうナンセンス。
30代でも、40代でも、はたまた60代でも80代でも取り返しのつく時代になっていくはず。
終身雇用の年功序列がなくなって不安でたまらない?
いやいや、むしろずっと自由で自在でレスプレッシャーで保険のきく時代じゃないか。
ドラゴンボール的な何度でも蘇られる時代の到来である(笑)。
我々は不死身の存在になる。
己の魂に従い、何度でも立ち向かう
私も平凡な人生ながら、もうずっと「自分に最も向いているものとは?」を試し続けている。
これからも自身の変化と、時代背景の変化をもとに、その時々で最も向いているものを模索し続けていくだろう。
何度でも試し続ける。
自分の魂がそう訴えかけるなら、そうしたらいいじゃないか。そうするしかないじゃないか。
取り返しのつく時代。これは現代の黄金ワード。
我々はまだまだ生きられる。
ああ、ありがたや。