「善良だけれど無知」というのがポイントで、相手は何も知らないけど心配して言ってくれているので一見とても良い人に見える。
けれど上手く行くか心配する行為自体が相手の自信を奪っていることには気づいていない。
親はその一番分かりやすい例。
愛した上で、話は聞く必要ない。— やぎぺー (@yagijimpei) March 16, 2018
人のアドバイスなんて聞くな
これはほんとそうで、「私は人のことを思いやるからアドバイスしたげるのだ」みたいなのが、人の人生を破滅に追いこむ恐れがあると知る必要がある。
自身のケースでいうと、僕は20代も後半に差しかかってから突如、英語の習得とそれに次ぐ海外渡航を敢行したわけだが、当時は「今さら英語なんて学んでもなんの足しにもならない」「軽い気持ちで海外に出てもろくなことにならないからやめといたほうがいい(俺がいつ軽い気持ちだと言った?)」「オーストラリアなんて行っても意味がない」「ワーホリなんてやってもむしろマイナスイメージになるだけ」等々、つまり一言でいうと「柴田、お前なに言っちゃってんの?」という金言をたくさんいただいた。
僕は幸いというか、困ったことに人の言うことを聞かないので、これらのアドバイスをすべて無視して実行したため助かったが、これらのアドバイスをアホみたいに鵜呑みにして「だよねぇ」と自分の気持ちを押し殺していたら、その後の自分の人生がどんなことになっていただろうと思うと、ゾッとする。
直感的にグローバルの方向へと舵を切ったことで、自分の人生は少なくとも(というか大きく)好転したからだ。
アドバイスだと、よかれと思って言ったのかもしれないが、いってもそんな安易に人の可能性を摘み取ってしまってあなたは平気なのか?と、僕は言いたい。
人は予言者でも占い師でもない。ましてこんな変化の激しい時代においては
僕だったら、そんなんはよう言わない。僕は200%当たる予言者でも、占い師でもないからだ。どうしてもアドバイスしたいのなら、許されるのは「10円と10円を足したら20円になるんだよ。これは覚えておいてね」というくらいの確実なものだけだ。
それこそ優しさであり、思いやりと言うならば、摘み取るのではなく、どうポジティブに駒を前に進めてあげられるのかを考えてあげればいい。
「俺は本当はできたんだがあいつが無理だというから仕方なくあきらめたんだ」なんて、人のせいにしながら死んでいくことこそ、しんどいではないか。
だからやっぱり、僕は自分の心に聞いてみよう、ということしかないと思うのだ。
と、ブログって何を書けばいいんだろうと思い、超人気ブロガーのやぎぺー氏のブログを覗いて、今こんなことを書いているわけだが、だったら別に元ネタのやぎぺー氏のブログを見てもらったらいいよねぇという話ではある。
う〜ん。ブログってむずかしいなぁ。誰か、アドバイスください。
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留学、ワーホリ、海外勤務を経験した私、柴田が実戦英語術を伝授します。
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