続トーキョーシティナイト
2018年もいろんなことがあったりなかったりですが、早いものでもう一年の半ばをむかえました。
そんな初夏のころに、なぜか30年ぶりに、ZIGGYの「トーキョーシティナイト」を聴いてみた。中学の頃に学園祭のバンド演奏でよくコピーされてたな。今聴いても意外なほどにかっこいい。
同時期にZIGGYの「GLORIA」という曲が、トレンディドラマ「同級生」の主題歌になってヒットしてたよね。
このドラマは何がすごいって、飯島直子ではなく、網浜直子が出演していたことだ。網浜直子ってどんな顔だったったけな? まぁ、そんなことはどうでもいいんだが。
さて、「トーキョー」といっても、現在2018年の東京と、バブル全盛の1988年の東京では、そのワードの持つ意味もだいぶ変わってくるだろう。
では今改めてトーキョーシティナイトの歌詞を振り返ってみましょう。
乾いた街のもう一つの顔は
花で飾りたてた女のようだ
誰もがここで蠢いてあがいている
金と名誉だけを求めてためらいがちに ためらいながら
振り向かずにはいられないTOKYO CITY NIGHT 乱れ咲き誇るバラの
TOKYO CITY NIGHT 色と誘いに満ちた
TOKYO CITY NIGHT 傷つけられる程に
TOKYO CITY NIGHT 今夜も時間は止まる 立ち止まらぬ人の中で
朝も昼もなく そして夜もない
肩で風でも切らなけりゃいられない
うずくまっている暇はない
この中でいうと「金と名誉だけを求めて」というフレーズが実にバブル的だと思う。
現代の我々もそりゃ金をくれるというなら受け取るし、承認欲求はあるだろうけど、そこは“文脈”がかなり違ってくる。
飯島直子と網浜直子くらい違ってくる。あ、いや、網浜直子さんも好きですよ。「ダブルナオ」のこともちゃんと覚えてるくらいに。
現代の地点から80年代バブルを眺めて思うのは、時代の要求は「豊かさ」から「自由さ」に変わったんだな、ということ。時代のヒエラルキーの転換はすでに済んでいる。
これだけ言っても何を言ってるのか、ちんぷんかんぷんでわからないというおっさんには(俺もおっさんだが)、下記のボブ・ディランの曲のフレーズを贈りたい。
Something is happening here
But you don't know what it is
Do you, Mr. Jones ?
ミスタージョーンズはいつの時代にもいる。それだけは変わらない。